東京地方裁判所 昭和32年(ワ)6284号 判決 1958年12月17日
芝商工信用金庫
事実
原告和光通商株式会社は請求の原因として、原告は昭和三十一年七月一日訴外日亜交易株式会社との間に、原告が同会社に対し、代金は毎月十五日及び月末締切で四十五日払の約束手形で決済すること、同会社が右代金の支払を怠つたときは年三割の損害金を支払うこと等の約定で石油類を売り渡す旨の石油類継続的販売契約を締結し、右契約から生ずる同会社の代金債務を担保するため、同月十一日原告は「吹原正剛」こと訴外吹原弘宣との間において右訴外人が被告芝商工信用金庫に対して有する金額九百万円、寄託期間一カ年、満期昭和三十二年七月五日、利率年六分一厘とする定期預金債権につき質権を設定し、原告が質権を実行する際には任意の方法で右債権を取立処分して前記債務の弁済に充当することを承諾する旨の質権設定契約を締結し、同日右吹原弘宣から「吹原正剛」名義で被告発行の定期預金証書の交付を受けてこれに質権を設定した。そして被告は、昭和三十一年七月十六日原告に対し右質権設定を異議なく承諾し、その旨の書面を差入れたので、原告はこれに確定日附を受けた。ところで原告は前記日亜交易株式会社に対しその約旨に基いて石油類を売り渡したところ、右会社はその代金債務の一部の支払のため、原告に宛てて金額合計七百万七千四百円の約束手形合計六通を振り出した。原告は右各手形をそれぞれ満期に支払場所に支払の呈示をしたが何れも支払を拒絶された。
そこで原告は質権の目的たる前記定期預金額が多額であるため予め昭和三十二年六月二十四日口頭をもつて被告に対し右定期預金の満期の到来する同年七月五日には質権実行のため右定期預金の支払を請求する旨の通知をなしたところ、被告は満期にその支払ができるかどうか確約できない旨を述べたので、原告は同月二十六日(翌日到達)書面をもつて被告に対し、定期預金を期日に支払わないときはその翌日から約定利率年六分一厘の損害金を請求する旨の通知をなした上、同年七月五日被告に対し、本件質権の実行として右定期預金の支払を求めたが、被告はこれを拒絶した。よつて原告は前記日亜交易株式会社に対し、同会社から売掛代金支払のため交付を受けた前記六通の約束手形金合計金七百万七千四百円並びに売掛代金債権残金十六万九千四百円と、これに対する昭和三十三年一月十七日現在における約定遅延損害金合計二百六十二万七千四十七円の債権を有することになるので、原告は右債権額の内金弁済に充当するため、本件質権の実行として、「吹原正剛」名義の被告に対する定期預金の満期である昭和三十一年七月五日現在の元利金合計金九百五十四万九千円の取立のため被告に対しその支払を求め、且つこれに対する同月六日以降支払済に至るまで年六分一厘の割合による遅延損害金の支払を求めると主張した。
被告芝商工信用金庫は抗弁として、仮りに原告主張の質権設定契約が成立したものとしても、それは意思能力のない幼児である吹原正剛(昭和三十年二月二十日生)との間の契約であるから無効である。
仮りにそうでないとしても、原告主張の定期預金債権は次のような事実から無効である。すなわち、訴外吹原弘宣は昭和三十一年七月五日「吹原正剛」と称して被告に対し、金額五百万円、第一裏書人吹原正剛なる約束手形各二通を示して、被告に対し定期預金証書の交付を求めた。而して右吹原弘宣は被告に対し、右各手形の期日には必ず現金で支払い、被告には迷惑をかけないから、これを預つて金額九百万円の定期預金証書を発行して貰いたい。三年間は必ず書換えて継続預金するというので、被告は右二通の各手形がその期日に支払われることを効力発生の条件とし、且つ三年間書換継続する約旨の下に吹原弘宣との間に定期預金契約をなし、同日原告主張の「吹原正剛」名義の定期預金証書を発行して吹原弘宣に交付したのであるが、右二通の約束手形は何れも被告においてその満期に支払場所に呈示をしたが、その支払を拒絶されたので、右契約は条件が成就しなかつたから、その効力を発生しない。従つて原告主張の質入債権は無効であるから原告の請求は失当である。
さらに、被告が原告主張の如き承諾をなしたとしても、右承諾は前記二通の手形が支払われることを条件としてなされたものであり、右条件は成就しなかつたのであるから、被告の本件質権設定の承諾は無効であると主張した。
理由
被告は、本件質権設定契約は意思能力のない幼児である訴外吹原正剛との間になされたものであるから無効であると主張するので按ずるに、証拠を綜合すれば、訴外吹原弘宣(大正十一年生)には長男吹原正剛(昭和三十年生)という当時一歳半位の幼児があるけれども、右吹原弘宣は日常自ら「吹原正剛」と名乗り、事務所の所在並びにその電話番号を記入した「吹原正剛」という名刺を印刷して使用していたこと、又被告側においても本件定期預金契約を締結する際右吹原弘宣本人を「吹原正剛」という氏名の者であると信じて同人を取引交渉等の相手方としていた事実が認められる。よつて他に反証がなく、特段の事実も認められない本件においては、前記の幼児「吹原正剛」の実在にかかわらず、吹原弘宣は右「吹原正剛」の代理人ないしは使者としてではなく、「吹原正剛」という通称を使用して自己のための取引等をしていたものといわなければならない。
従つて本件定期預金契約の一方の当事者は右吹原弘宣であり、同人がその権利者であるというべきである。また、本件質権設定における吹原弘宣といわゆる「吹原正剛」なるものとの関係も、右認定と同様の関係にあるものと認めるのが相当であり、従つて本件質権設定契約も亦原告と右吹原弘宣との間に成立したものといわなければならない。
次に被告は、原告主張の質権の目的となつた定期預金債権は無効であると抗争するので判断する。証拠を綜合すれば、昭和三十一年七月五日頃訴外「吹原正剛」こと吹原弘宣が訴外日亜交易株式会社の代表者小川肇らと被告方を訪れ、被告主張の如き訴外日亜交易株式会社振出、受取人たる「吹原正剛」名義の裏書ある金額五百万円の約束手形二通を被告に示して定期預金証書作成方を懇請し、
被告がこれを諒として「吹原正剛」名義の金額九百万円、期間一カ年利率年六分一厘とする本件定期預金証書を作成の上、これを吹原弘宣に交付したこと、その際特にその満期には証書を書換えて三年間継続する旨を約したこと、並びに右手形二通が何れも満期である同年九月二十五日と同月三十日に呈示されたが不渡となつたことを認めることができるけれども、右契約の際に被告主張の如く満期に右二通の約束手形金が支払われることを停止条件とした定期預金契約が締結されたとの事実についてはこれを認めるに足る証拠は存しない。むしろ証拠によれば、被告において右二通の約束手形(合計金一千万円)を割り引いて、「吹原正剛」の名義による裏書を受けてこれを取得し、右割引金の交付にかえてこれを定期預金となし、金九百万円の本件定期預金証書を作成し交付したものと認められるのみならず、被告は本件質権設定につき異議なくこれを承諾したものであることは既に認定したとおりであるから、仮りに本件定期預金契約に基く金員の預託又はこれにかわるべきものがなかつたとしても、指名債権譲渡の承諾に関する民法第四百六十八条第一項の類推により、右事実をもつて適法な質権者たる原告に対抗し得ないものと解するのを相当とする。なお、本件定期預金の満期における書換に関する前記特約についても、これが証書面に記載されていない以上、同様これをもつて原告に対抗し得ないものといわなければならない。
また被告は、本件質権設定の承諾は右約束手形金の支払のあることを条件としてなされたものであると主張するが、これを認むべき何らの証拠はなく、却つて被告が右質権設定につき異議なくこれを承諾したことは既に認定したとおりである。
以上認定したところによれば、原告の訴外日亜交易株式会社に対する取引の結果生じた残債権は元金七百十七万六千八百円で、その内金三百三十七万三千三百円に対しては昭和三十一年十月十一日から、内金百四万六千三百円に対しては同月二十六日から、内金二百五十八万七千八百円に対しては同年十一月十一日から前記認定の約定利率年三割の割合による遅延損害金債権を有するものというべく、従つて原告は債務者たる右訴外会社から右元利金の支払を受けるまで、これを限度として、本件定期預金に対する質権の実行として、被告から右定期預金額九百万円及びこれに対する満期の翌日である昭和三十二年七月六日から約定利率年六分一厘の割合による遅延損害金を取り立て得べきものといわなければならない。
しかして本件定期預金の満期である昭和三十二年七月五日当時本件定期預金の元利金が合計金九百五十四万九千円であることは計数上明らかであるのに対し、右期日又は原告が本訴を提起したこと記録上明白な同年八月七日当時において、被告が若し原告の請求に応じたならば、当時原告の有する債権の元利金は大略金八百八十万円程度であつたから、被告は右限度においてその支払をなせば足りたものというべきであるが、被告において原告の要求を拒絶したため、原告の有する取引残債権の遅延損害金が増大した結果本件口頭弁論終結時たる昭和三十三年十月二十二日当時においては、右元利金は少なくとも金一千三百九万七千六百六十円に達していること、これに対し被告の負担する本件定期預金九百万円及びこれに対する約定利率年六分一厘の割合による元利金は合計金一千万六千六百六十六円に満たないことは計数上明白であり、両者の利率の差からみて原告の債権と被告の債務はその額の差が益々開いていくものと考えられるけれども、これはとりもなおさず、被告が原告の前記請求を拒否した結果であるというほかはない。
してみると、訴外日亜交易株式会社に対する前記債権の元利金の弁済にあてるため、質権の実行として被告に対し本件定期預金の満期における元利金九百五十四万九千円及びこれに対する約定遅延利息の支払を求める原告の請求は理由があるとしてこれを認容した。